18歳・春。ネット社会に疲れたが、世間と私が解放しない。

 

 

 

 

MacBook Airから送信

 

充電8%。

 

 

 

ソファーにどっぷり腰掛けて、この体勢から動けない。

少し背中と腕を伸ばせば届く充電器を、取る気にならない。

おそらく1%になったところでやっと私は動き出す。

 

 

疲れているのか。いつもこうといえばこうだ。スマホの充電だって、5%まで動かないことが多々ある。一桁になると動き出すのは、完全に切れると充電器をさしても数分間真っ黒で使えないからだ。その数分間すら待てないほどに、常にネットに張り付いている。疲れた。ネットから解放されたい。いつからこんな風になってしまったのか。

 

 

 

MacBook Air、充電7%。

 

 

 

私がネットに触れたのは、確か小学校5年の頃だった。

 

それまでの生活というものは。一家に一台のWindowsパソコン。母親が光ファイバーケーブルをつなぎ、ネットを使う。その頃の通信料金はよく知らないが、母親の早々にケーブルを抜く心がけから、おそらく我が家にはお高い特別なものだったのだろう。子どもながらに家計を気にし、ネット使用のおねだりは控えていた。ただちょっぴり大人になりたくて、パソコンを使ってみたくて、許可がもらえたOfficeWordでローマ字打ちをして遊んでいた。光ケーブルはつながっていない。

 

 

 

MacBook Air充電5%。

間も無くスリープ状態へ入るとの警告。それではコンセントへ手を伸ばそう。スリープの数分間が耐えられないたちである。

 

 

 

マグネットでつくこの感覚が好ましい充電器。オレンジ色の光を見て、充電開始を確認する。

 

 

先日から使い始めたこのMacBook Air。久しぶりに見たオレンジ色。小学5年生で人生初めて手に入れたApple製品のiPod shuffleは、いつの間にかその役割をiPhone5Sに取って代わられていた。

 

 

このオレンジ色を見ると、ネット世界に足を踏み入れたあの小学5年の秋を思い出す。2つ上の姉が購入するのにつられて買ったiPod shuffle。当時5800円の出費は大きな買い物だった。姉のネット使用増加に加え、iTunesのダウンロードも行うとなり、母親は月額のネット回線契約を決意した。

 

 

 

MacBook Air充電24%。

 

 

 

ネットが使い放題というものは生活に劇的な愉しみを生み出した。

 

まずハマったのがYouTube。幼い頃からお笑いが好きだった私は、お笑い芸人のライブ映像ばかり見ていた。おそらくヒカキン等のユーチューバーはすでに活躍していたと思う。しかし地方住みでなかなかお笑いという趣味を満足に楽しめていなかった私は、東京や大阪で行われるライブを飽きることなく見続けた。ネットは、何もない地方に住む者に、興と夢を与えるものだと知った。

 

 

 

MacBook Air充電36%。

 

 

 

小学6年生になると、ブログを始めた。

 

大好きなお笑いを語るブログだ。全国各地に趣味を共有できる友達がたくさんできた。本当に楽しかった。学校で嫌なことがあっても、家に帰ってネットを開けば、大好きな友達がたくさんいる。これほど心強いものはなかった。外出しても、コメントが気になり早く家に帰りたく、お出かけを断ったり、帰るや否や一家に一台のWindowsパソコンの前に陣取るネット中心の生活をした。ネットは、住む町にはいない、まだ見ぬ気の合う友人とたくさん出会える場所だと知った。

 

 

 

中学生ではツイッターを始めた。

 

これも遠くの友人と知り合うためである。パソコンで見るのは少し面倒で、それほどハマらなかった。ブログは友人関係でトラブルが起こったり、みんながそれこそツイッター等他の媒体に移っていき過疎状態になったりと、楽しさに欠け始めてやめた。新しいネットコミュニティーを探す時期であった。

 

 

学校では、ケータイを持ち始める子もいた。彼彼女らのネットの使い方は、アメーバブログやプロフホームページで学校の仲間と繋がるというものだった。私は学校が嫌いで、ネットは現実逃避の手段としか考えていなかったため、彼彼女らが実名で何か投稿し、ネットでまでリアルの友人と繋がっているというものが不可解で仕方なかった。

 

 

 

 

MacBook Air充電61%。

 

 

 

 

次に私が見つけたネットの居場所は、コーディネート投稿だった。

 

画像投稿サイトのお洒落なお姉さんに憧れて始めた。私は特別お洒落でもないのに、友達もたくさんできて、フォロワーも最終的には3桁つき、とても楽しかった。家族と出かけても、服ばかり見て、この服を買って投稿しようなどとネットのことで頭がいっぱいだった。

 

 

しかし、これもまた友人がツイッターに移るなどの過疎が原因でやめた。

 

 

やはり時代はツイッターだった。

 

 

 

MacBook Air充電71%。

 

 

 

高校に入学した。

 

ずっと欲しかったiPhone5Sを手にいれたが、自称進学校では入学と同時にスマホを使うなとの指導。私も大学受験を頑張りたかったため、寝る前だけの使用を決めた。ただ高校生ということもあり、家庭である程度行動の自由を許され、東京まで趣味のお笑いを見に行くことも増えた。スマホを手にした私はこの時やっとツイッターで趣味つながりの友人と語ることに興を感じた。

 

 

 

 

そこからは、ツイッターがすべての情報源となっている。

 

高校の友人とつながるアカウントも作り、それなりに楽しく使っていた。

 

 

 

 

MacBook Air充電100%。

青いランプを確認して、ケーブルを抜く。

 

 

 

 

小学5年生から高校卒業まで、私を魅了し続けてきたネットの世界。これに今は悩まされている。端的に言うと情報過多だ。追いきれなくて疲れた。ネットやめたい。しかしやめられない。大学入学の手続きも、授業やサークル情報も、全てネットの中だ。取り残されては生きていけない。がんじがらめだ。

 

 

何か買うにしても参加するにしても、まずは口コミ検索、ツイッター検索だ。たくさん見て吟味して疲れる。しなきゃいい話だが、しないと気が済まない。

 

大学入学もまだなのに、みんなこぞって#春から〇〇大学。

これに参加してもおそらく実際会わないし、何も意味がないのに参加しないと不安になる。このシステムが本当に馬鹿馬鹿しくて嫌いだ。

 

リアルの人とつながるSNSは、私生活充実自慢のぶつけ合い。

日本がある程度発展しているあまり、人々はいいねの数を競う承認欲求の化け物となった。私の私生活が充実していないから苦手なのだろう。ネット世界は、そんなことまで突きつけてくる。

 

 

 

かつて私の心を解き放つ存在であったはずなのに、今や私を拘束している。すべてがネット内で進められるこの時代。ついてゆくのに疲れてしまった。だが手続きの締め切りや、私が欲しい情報たちは待ってはくれない。ネットをやめたいが、時代が許さない。ネットを使わない知り合いもいないし、私は世界で孤立する。

 

 

 

 

いつになったらゆったりと時を過ごせるのだろう。

 

外に出歩いて掲示板で情報を確認するような、のどかな時間で暮らしたい。

 

 

 

 

 

 

 

MacBook Airから送信

 

充電88%。