この気持ちはなんだろう
この気持ちはなんだろう
こんな歌詞の合唱曲が中学生のころは好きだった。
恋の感覚を初めて体感した初々しい歌詞。
ピュアで清くて好きだった。
でも今私の中にある「この気持ちはなんだろう」はピュアでも清くもなくて、恋でもない。
この気持ちはなんだろう。
彼氏に振られて別れて半年が経とうとしている。
もう半年。やっと半年。
振られた直後は半年も生きられるとは思っていなかったし、ここまで気持ちが軽くなっているとは想像もしていなかった。
たしかに気持ちは落ち着いてきた。
でも、
やっぱりなにか、
失ったものは取り戻せないような、
得体の知れない悲しさというか喪失感や虚無感は拭えない。
毎日、なんかおもしろいことないかな、と考えてしまうほどに退屈だ。
どれほどに好きでどれほどに楽しかったのだろう。
それこそピュアで清くて恋で可愛かった。
人生にいっときでもそんな時間があったことは素晴らしいし、彼には感謝したい。
多分、まだ好きなんだろうな。
わからないけれど。
戻りたいな、と思いつつ、
あの頃ほどに彼でなくてはダメだという執着はない。
彼の嫌なところは思い出せるし、恋愛がなんだ、とも思う。
ああ、多分、私は本当に負けず嫌いなんだ。
戻りたい、好き、などというピュアで清いものだけではない。
振られたことを負けだと思っている馬鹿で浅はかな自分がいる。
私は負けに執着しているのかもしれない。
彼からの連絡を待ってしまうのも、戻りたいからではなく、負けにリベンジしたいからなのだろう。
そんな、相手を負かしたいと考えている人のところに連絡なんて来るはずないよな。
でも、連絡が来てやっと解放されるのだろうな。いつまで縛られていたらいいんだろうな。苦しいよ。いつ見られてもいいように、いつ見られて変化を見せつけたいがために、毎日気張って外に出るのは。誰も見てない、誰も気にしてない、誰も期待してない、誰もこの戦いを知らない、ただただ自分で自分を縛り付けている。わかっているけど自分が許さない、解放しない。
どうしたら弛緩できるんだろうな。もっとラフに暮らしたいな。こんな気張ってたら周りも疲れちゃうよな。
気張らなくても圧倒できる自信を身につけよう。気張らない自然体でも変化を感じ取れる自分になろう。自分のための人生を生きよう。自分で自分のご機嫌を取ろう。
やっぱり私は美の暴力で圧倒したい。
この、混沌。
この、自分の中での誰も気にもならない戦い。
それを外に意識して縛られ苦しむ自分。
ああ、
ああ、
ああ、
この気持ちを殺したい